ウィルヘルム二世の走り書

独帝ウィルヘルム二世は、政府からの報告文書の余白に走り書をしたためる癖があった。1920年元側近がそれをまとめて出版し、センセーションを巻き起こした。1914年7月中旬、ウィルヘルム二世はヨット、ホーエンツォレルン号に乗船しノルウェーフィヨルドをクルーズ旅行をしていた。その最中に、オーストリア外相ベルヒトルトがセルビア宛に最後通牒を出した。これはその前後の記録である。

青色がウィルヘルム二世の走り書き

ウィーン大使ベルヒトルトがセルビアにとり到底受け入れが不可能な要求を準備している。
サンジャック(*1)から出て行け!だ。そうすれば争いは直ちに発生。オーストリア人がセルビア人を海岸線に近づけさせたくないと思うならば、あれを絶対に取り戻すことだ。
ウィーン大使ティサ・ハンガリー首相がベルヒトルトに紳士のように振舞うことを忠告している。
もう事件が起きてしまった後だ!殺人犯に紳士的にだと!笑わせるな!シュレジエン戦争のとき同じことが起きた。フレデリック大王「あらゆる戦争諮問会議に反対だ。臆病者はいつも上品に振舞いたがる」
ロンドン大使:イギリス政府はベルリンがウィーンの到底受け入れが不可能な要求を出すことについて圧力をかけることを期待している。
なぜ私がそんな事をせねばならないのだ。私と関係ないぞ。実現不可能な要求とは何だ。悪漢どもが扇動のため人殺しを行なった。罰せられるべきだ。
ロンドン大使:イギリス政府はウィーンが戦争をもたらすような条件を呈示しないことを希望している。
これはまたイギリス人の傲慢さの表れだ。なぜ私がグレイに頼まれて、オーストリア=ハプスブルグ二重帝国皇帝陛下に、グレイの名誉を守るため働きかけねばならないのだ!!
ヤゴウ外相:イギリス政府あてにドイツはオーストリアとセルビアの間に干渉する立場にないことを説明した。
これはグレイに単純にまた率直に言わねばならん。だから「私は冗談を言うような雰囲気にいない」とな。セルビアは盗賊集団に過ぎない。そして犯罪の責任者は捕縛されねばならない。イギリス人の論理化・抽象化の方法に問題がありそれにあくまで反駁してやる。ウィルヘルム・ホーエンツォレルン
ウィーン大使:ベルヒトルトはロシアに「オーストリアはセルビアの領土を奪う意志がないこと」の完全な保証を与えた
ああ、オーストリアはサンジャックを取り戻さねば。さもなければセルビア人が海についてしまうぞ。
ロンドン大使:グレイが列強会議を提案
オーストリアに頼まれない限り、そんなものには出席しないぞ。オーストリアはそんなことを頼みはしない。名誉と重大な利益が絡めば、会議で決めたりしない。
ペテルスブルグ大使サゾーノフがもしオーストリアがセルビア領土を剽窃すれば戦争に出る決心だと言明。
よし、やろうじゃないか
ローマ大使:イタリーの態度について警告
これは無意味だ。最後はいつも予想通りで終わる
ベートマン首相:ドイツの態度として当面平静を保つべきと考える
平静というのは市民の義務だ。平静!平静!だが平静なる動員など聞いたことがない。

(*1)サンジャックとは現在のセルビア領ノビパサールとコソボ自治州周辺。サンジャックはトルコ語でノビパサール周辺の意味。ボスニア危機の際ドイツがオーストリアとトルコの間に仲裁に入り、サンジャックをトルコに還付させた。その後第1次バルカン戦争の結果セルビア領となった。

ボスニア危機

この段階でウィルヘルム二世にこの紛争について当事者意識が希薄だったことがわかる。しかしオーストリアとロシアの不仲はよくわかっていたようだ。またテロを激しく憎んでいるが、これ自体はヨーロッパ各国国民(ロシアを除く)とそれほど異なっていたわけではない。

そして好戦的かつ軽率な書き込みも目立つがウィルヘルム二世が実際にここに書かれたように指示したことも無ければ、行動にあらわしたようにも見えない。つまり実際の政治行動とは無縁だ。出版されてしまったのは、本人にとり心外だったろう。


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