スミスドリアン、ホーリス

Smith−Dorrien,Horace Lockwood
(1858−1930)

イギリスの将軍;開戦時BEF第2軍団長

軍人の家系に生まれ、ハロウ、サンドハーストと進んだ。任官後ズールー戦争に従軍したのちエジプトに駐在した。その後もインドに10年いたあと、キッチナーとともにオムダーマンの戦いに参加した。ボーア戦争にも従軍したのでイギリスのこの期間の外征にはほとんど参加したことになる。

開戦後、フレンチのもとでBEFの第2軍団の司令官となった。だが第1軍団のヘイグともフレンチとも作戦方針であわなかった。そしてドイツ軍右翼、第1軍(クルック)とモンスで不定期遭遇戦に陥った。ここでスミスドリアンはドイツ軍にかなりの被害を与えるのに成功しまた退却戦にも成功した。

だが強大なドイツ軍右翼に抗すべくもなく、撤退中に第1軍団とはぐれ、再度ルカトーでドイツ軍と孤立して戦った。ここでも退却戦に成功したが、フレンチはフランス軍の方針に疑問をいだきBEFのフランスからの総撤退を考慮する。

その後キッチナーの介入でマルヌ会戦時戦線にとどまるがBEFは活発とはいえない動きで終始した。フレンチは海への延翼運動でなぜか強気に転換し、イープルで攻勢に出ようとした。スミスドリアンは懐疑的だったが、ここで開戦以来のイギリス常備軍−BEFは壊滅的打撃をうけた。スミスドリアンは以降守勢有利という近代戦を理解するようになり、フレンチと対立する。
1915年4月の第2次イープル戦で対立は激化し、フレンチはスミスドリアンを一方的に解任した。

内地で勤務後、肺炎からの発作がおさまらず退役した。交通事故で死亡。



回想録;Memories of Forty-Eight Years Service, London, 1925
自著;General Sir Horace Smith-Dorrien's statement with regard to the First Edition of Lord French's Book 1914, London,1919
Ballard, C., Smith-Dorrien, London, 1931
Smithers,A.J., The Man Who Disobeyed: Sir Smith Dorrien and his Enemies, London, 1970

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