サレイユ、モーリス

Sarrail,Maurice
(1856−1929)

フランスの軍人;大戦中期のサロニカ派遣軍司令官

サンシール士官学校卒業。北アフリカ勤務の後ドレイフュス事件に巻き込まれる。政治的には左派の立場をとった。このことはむしろ昇進に好影響を及ぼしたようである。

開戦時に軍団長だったが、すぐベルダン付近を守備した第5軍司令官となった。マルヌ会戦ではドイツ軍の攻勢をよく食い止め、左翼進撃の側面支援の役割を果たした。

1916年のベルダン戦では当初退却を余儀なくされ声望を落とすことになる。ペタンの着任に伴い、オリエント軍の司令官となった。

これはサロニカに駐留する英仏セルビア等からなる多国籍軍だった。サレイユはそこでの全軍の司令官となったが任期中軍事行動より政治活動に力を入れた。サレイユはギリシャの参戦を促そうと内政に関与した。これはギリシャが休戦直前まで中立を標榜したことをみれば成功とはいえない。またギリシャが参戦しても果たして力となったかは疑問だ。

1916年末から軍の反乱、ブルガリア軍への攻撃の失敗に悩まされた。1917年12月右派のクレマンソーが首相になると命運つき、召還された。その後戦中は活躍がないが、1924年左派政権が誕生すると、駐シリア軍司令官に返り咲いた。1925年引退した。



回想録;Mon Commandement en Orient, Paris, 1920
Coblentz, P., The Silence of Sarrail, London, 1930
Tanenbaum, J.K.,General Maurice Sarrail 1856-1929; the French Army and Left-Wing Politics, Chapel Hill, North Carolina, 1974

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