レネンカンプ、パーベル 

Rennenkampf,Pavel K.von
(1854−1918)

ロシアの将軍;タンネンベルグの戦いで僚軍との協力に失敗した。

レネンカンプは名前の示すように、ドイツ系の名門家庭に生まれた。日露戦争に従軍したが、軍歴にプラスとなるような活躍をしたわけではない。その後シベリアに勤務し治安維持活動を行った。

第1次大戦の勃発とともに急遽、第1軍の司令官に抜擢された。第1軍の任務は東方から東プロイセンに侵入し第2軍(サムソノフ)と協力し、ドイツ軍を撃破、ベルリンに進撃することにあった。始めは若干の損失があったが、グンビネンでドイツ第8軍を破り、前進に成功した。

しかし、ドイツ軍が後方で軍を再編し、全力で第2軍を撃破しようとしていることに気づかなかった。東プロイセンをゆっくり進むうちにタンネンベルクの戦いは終了し、第2軍は全滅させられてしまった。ドイツ軍が踵を返し全軍をあげて向かってくるに及び撤退を決意、第1次マズール湖の戦いでは戦術的退却に成功した。

その年の終わりまで第1軍司令官をつとめた。ロッヅ付近の会戦では援軍を機敏に派遣した。年末に物資横領の嫌疑で拘束され嫌疑自体は晴れたが、その後軍務につく要請はなかった。ドイツ系の出身が災いしたといわれる。

1918年、ボルシェビキ政府から南部白軍の鎮圧のため、指揮官になるよう要請された。レネンカンプはこれを拒否、射殺された。


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