プトニック、ラドミール

Putonik, Radomir
(1847−1917)

セルビアの将軍;開戦時参謀総長

砲術の専門家として、1870年代のトルコとの戦争に従軍、そのころから、将来を嘱望されていた。しかし、その後セルビア内の複雑な政治抗争に巻き込まれ、芽が出なかった。

1903年の5月クーデター後、カラジョルジェビッチ家のピーターが王位につくと、再び厚遇をうけ、参謀総長に就任した。その後セルビア軍の近代化と装備の向上に意を注いだ。自身も近代戦の理解につとめ、第1次と第2次のバルカン戦争を勝利に導いた。

しかし健康には恵まれず、病気療養中サラェボ事件が発生した。急遽帰国の途につくが、途中オーストリア官憲に拘留されてしまう。だがフランツヨゼフ皇帝の指示により、騎士道精神にもとづいて、釈放された。これが宋襄の仁であるかは別にして、オーストリア軍を苦境に陥れることになる。

緒戦からの3次にわたる、ドリナ川を渡河してセルビアに侵入せんとしたオーストリアの目論見は、プトニックの戦略予備部隊の運用の巧みさに、全て失敗した。

しかしセルビア軍の活躍もマッケンゼンの到着で、断たれてしまう。ブルガリア、オーストリア、ドイツの集中した攻撃になす術もなくアルバニアに敗走を余儀なくされた。冬季の行軍は健康の悪化したプトニックの耐えられるところではなく、脱出後フランスで加療をうけることになり、そこで死亡した。


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