マッケンゼン、アウグスト フォン

Mackensen、August von
(1849-1945)

ドイツの将軍;連戦連勝で東部戦線を嵐のように通りすぎた。

プロイセン領ザクセン生まれ。家は代々続く小領主。20歳で陸軍に入隊し普仏戦争に従軍。その後ハレ大学卒業。1873年再度陸軍に将校として入隊。騎兵畑で、ベルリンの近衛標騎兵連隊と伝統の親衛軽騎兵連隊に長かった。1899年貴族に列せられ、ウィルヘルム二世の副官となった。

このスコットランドの名前をもつ将軍は第1次大戦の東部戦線で勝利また勝利の連続だった。ただ一つの例外はタンネンベルグ包囲殲滅戦、緒戦のグンビネンの戦いである。ここでは第8軍(プリトウィッツ)の第17軍団の司令官をつとめ出会い頭ロシア軍の砲火を浴び退却した。それ以降はタンネンベルグ、二つのマズール湖、ロッヅゴルリッツ突破バルカンルーマニアと嵐のような勝ち戦だった。この勝利はゼークトを始め副官にめぐまれたことも大きい。しかし良い副官を選ぶことも司令官の重要な職務だろう。

終戦時はルーマニアにいてハンガリー臨時政府に一時逮捕されたが帰還を許された。退役後は全ドイツ退役将校クラブ(シュリーフェン協会)の会長をしていた。だが、ゴルリッツ突破戦の遺恨からか、ヒンデンブルグとの関係が良好であったとはいえない。

その結果か、1930年代にはいりヒトラー運動に名前を貸すようになった。軽騎兵の制服を着てオープンカーに同乗している映像が残っている。それでも君主制の支持者として変わらなかったようだ。1941年ウィルヘルム二世がオランダでなくなると、92歳の老元帥はひつぎにコートをかけ、弔ったという。マッケンゼンは、たぶん消え去る運命の最後のプロイセンの武人だったのだろう。



Forster, W., Mackensen: Brief und Aufzeichnung, Leipzig, 1938
Royle, T., Death before Dishonour; the True Story of Fighting Mac., Edinburgh, 1982

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