ランレザック、シャルル
Lanrezac、Charles

(1852−1925)



フランスの将軍;フロンティアの戦いで活躍した。

フランス海外領、グアデロープで生まれた。サンシール士官学校卒業後、普仏戦争に従軍した。1906年准将となりジョフルの右腕と目された。開戦時はフランス軍最左翼の第5軍司令官だった。ランレザックは作戦の基礎であるプラン17は熟知していたが、実際強力なドイツ軍右翼に相対すると、その誤りに気がついた。ジョフルからドイツ軍右翼への攻撃とアルデンヌ攻撃部隊の側面支援の両方を指示され、実行の不可能を悟った。

ランレザックは自らの判断で第5軍温存策をとり、ドイツ軍に一撃後退戦術で消耗を誘う方法をとった。シャルルロワでは一撃どころか惨敗を喫したが、グイーゼ河畔では一矢を報いた。しかし大軍に抗すべくもなくあとは後退した。友軍であるBEF(英国遠征軍)にはしかしこの後退戦術を了知させることができず、溝を作ることになった。ランレザックはそもそも英国人を信用していなかったらしい。

ジョフルはこの後退戦術がフランス軍の規範に存在するとはみなさず、マルヌ会戦前に罷免した。

だがこの温存策がなければ、第5軍はマルヌ会戦で存在せず、フランス軍にとり致命的だった公算が強い。戦後ペタンの手で名誉回復が計られた。



回想録;Le Plan de Campagne Francais et le premier de la guerre, Paris, 1920

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