カレディン
Alexei Maximovitch Kaledin
(1861-1918)


ロシアの将軍
カレディンはドンコサックの将校の子として生まれた。子供のころから当然のこととしてドンコサックに所属し軍事教育を受けた。

第一次大戦勃発の時ブルシロフの第8軍の騎兵師団長を務めていた。その後ブルシロフに認められ、軍団長そしてブルシロフが軍司令官になると第8軍司令官に抜擢された。

1916年6月ブルシロフ攻勢に第8軍司令官として参加した。第8軍はオーストリアのフェルディナンド大公軍を急襲し、完全に壊走させた。始めの二日間の戦闘で13万人の損害を与えたという。そして要衝ルックの占領に成功した。

翌年2月革命が起きると、カレディンは臨時政府と対立5月司令官を革職された。その6月故郷のドンに戻ると、ドンコサックの頭領(アタマン)に選ばれた。ドンコサックはこの頃から独立を目指した動きを示していたが、ボルシェビキによる10月革命が発生するとそれは決定的ものになった。

ドンは独立地域の様相を呈し、反ボルシェビキ派の終結する場所になっていった。カレディンは各地から集った反ボルシェビキ派を糾合し白軍を結成した。12月に入るとドン河流域全体で赤軍と白軍と内乱状態になったが、翌年1918年1月タガンログで大敗を喫した。

ドン河下流ロストフまで逃亡したが、2月11日そこで拳銃自殺を遂げた。


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