ジョフル、ヨセフ
Joffre, Joseph

(1852-1931)



フランスの将軍
ワイン樽製造業者の息子。理工学院卒業後陸軍に入隊、工兵畑を歩む。普仏戦争に従軍後、植民地勤務についた。勤務地はインドシナ、マダガスカル、アフリカに及んだ。1911年マダガスカルでの上司ガリエニの推薦で、参謀総長に就任した。それまで本部勤務の経験がなく実務はカステルノーに負うことが多かったという。

参謀総長としてプラン17の作成に携わった。プラン17は当時のフランス軍事学の傾向を代表し攻勢論の強調に特徴があった。大戦が開始されると、試練はいきなりやって来た。ジョフルはシュリーフェンプランの概要を知っていたが、プラン17とフランス陸軍の力で主攻点アルザスとアルデンヌを突破し、ドイツ軍を両断できると信じた。だが攻勢はドイツ軍の周到な準備がまさり頓挫、すぐドイツ軍の嵐のような右翼の進撃に遭遇した。

それでもジョフルはこの危機にあって冷静さとフランスへの信頼を失わなかった。右翼からまた戦略予備軍を左翼にまわし、なんとかドイツ軍右翼を上回る兵力を集中することができた。しかし勝機の判断はパリ軍事総督のガリエニがつけた。

ドイツ軍右翼第1軍(クルック)がパリを前面に急旋回した。パリ軍(第6軍 モーヌーリ)は機を逸さず、マルヌ川で側面攻撃にでた。これによりドイツ軍は第1軍と第2軍(ビューロウ)が分断されそこに英軍に入られた。マルヌ会戦はシュリーフェンプランの内在する危険要素とフランス軍の危機にあっての強靭な戦闘力でドイツ軍を打倒したものといえる。

マルヌ会戦の後もジョフルは攻勢一辺倒の考えから出られなかった。二度にわたるシャンパーニュ戦とアルトワ戦でただ人的損害を出すだけの無謀な作戦を実施した。ベルダンでドイツ軍の消耗戦が始まると、戦争は新しい作戦能力がなければ続行できないことが誰にも明らかになった。1916年末、ジョフルは元帥に祭り上げられ、実権を失った。

戦後になり、ジョフルは攻勢一辺倒の考え方について「攻勢への妄信」(le culte de offensive)であり、「攻勢への神秘」(d'une mystique de l'offensive)と表明した。これについて、多くの歴史家はこの妄信なり神秘なりでフランスの大損失を説明する。だが、戦争とは戦線を前に進めねば、中々勝てないのも事実なのである。

このように失敗も目立つがジョフルは今なおフランス人の尊敬を失わない。またイギリス人との関係も良好だった。



回想録; The Memoirs of Marshal Joffre, London,1932 
    ; The Two Battles of the Marne,London,1927
Recouly,R.Joffre New York,1931 
Varillon,P.Joffre,Paris,1956
Demazes,G., Joffre, la victoire du caractere, Paris,1955

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