フーチェル、オスカー フォン

Hutier Oskar von
(1857−1934)

ドイツの将軍;後半期にフーチェル戦術で有名となった。



祖父はナポレオン軍に属し、そのままドイツに止まった。父もプロイセンの連隊長をつとめ、貴族の称号を得た。ルーデンドルフは母系のいとこにあたる。

リヒターフェルト士官学校卒業後参謀本部勤務となり、そのときの上司がヒンデンブルグだった。開戦時は第2軍に属する近衛第1歩兵師団長だった。1915年春、東部戦線に転属となり第10軍(アイヒホルン)の第21軍団長となった。ゴルリッツ突破戦第3次攻勢のコウノ攻略に参加した。その後第8軍の司令官となった。

1917年秋、リガ攻略を果たし、西部戦線に転属となった。そこで新たに編成された第18軍の司令官となり、カイザー戦第1次攻勢の先頭にたった。休戦まで第18軍を率いたが、英仏軍の正面にありながら、自軍の被害を最小に食い止めたといえるだろう。

休戦日までに第18軍(最も精鋭といわれていた。)をすべてライン川後方まで撤退させるのに成功した。

これは奇妙な措置と解されるかもしれないが、休戦協定を連合国が遵守したのは、西部戦線だけである。イタリー戦線やサロニカ戦線では休戦日以降撤退を開始した中央同盟国軍に後方から連合国軍は攻撃をかけている。これを防ぐためにも攻勢に出られる程度の軍は休戦日前に後置するのは普通の処置でドイツ軍はこれに各戦線で成功している。ただアメリカ軍だけはこの種の野蛮さはない。英仏軍は関与している。第2次大戦の終了時、満州での関東軍の処置はこの戦訓が生かされていない。

休戦日当日に重大な演説を行った。すなわち「敵に屈したわけでなく、外部環境によって、これまで激戦で手にいれた領土を放棄せざるを得なくなった。それにもかかわらず、頭を高く上げ愛する祖国に行進しよう。」 というもので匕首伝説の嚆矢となった。1919年1月辞職し全ドイツ将校団の会長となり、1934年まで続けた。


カイザー戦に戻る

フーチェル戦術