フレンチ、ジョン 


French, John Denton Pinkstone
Earl of Ypres
(1853-1925)

イギリスの将軍;初期のBEF司令官

父は海軍の将校。14才で海軍にはいったが。数年たたずして、陸軍に転じる。騎兵将校としてスーダンでのゴードン救出作戦及びボーア戦争で頭角をあらわす。

その後の昇進は順調で1912年参謀総長に就任した。1913年元帥となり1914年開戦と同時にBEF(イギリス遠征軍)の司令官に選ばれた。

しかしドイツ軍の進攻とその規模はフレンチの想像をはるかに超えていた。小規模のイギリス軍部隊ではあったが、フランス軍左翼の後退を知り温存策にでた。そしてマルヌでフランス軍が全面反攻を計画したにもかかわらず、十分な協力を拒否した。

だが第1次イープル戦ではむしろ楽観主義に転じ攻勢に出た。ドイツ軍と大激戦の結果その小さな常備軍をほとんど摩耗させた。だがこれはファルケンハインの海峡都市攻略作戦と衝突したもので、攻勢に出たことが結果としてよかったのかもしれない。

その後フランス軍のシャンパーニュ冬期戦でのフランス軍の敗北を知るやまた消極策に転じた。その後塹壕をはさんでのにらみ合いで、大攻勢策をとることはなかった。これはイギリス軍にとり不必要な消耗を防いだのかもしれない。もちろんフレンチが意図したことではないが。

1915年12月、ヘイグと交替し内地軍司令官となった。1916年にアイルランド紛争に巻き込まれイースター危機の際、鎮圧軍を指揮した。1921年退役した。第1次イープル戦のとき培ったフォシュとの友情は生涯かわることがなかった。フォシュはフレンチを今ウェリントンともちあげているが、誉めすぎだろう。

イギリス軍人には珍しく短躯で、またすぐ頭に血がのぼることから、ヘイグはソーダ水とあだ名をつけた。しかし自軍の消耗に注意を払っており、また長期戦を早くから考えたことは評価されてよい。



回想録;The Despatches of Lord French 1914-1916, London, 1919
French, Hon. E.G., Life of Field Marshal Sir John French, Earl of Ypres, London, 1931
Holmes, R., The Little Field Marshal ; Sir John French, London, 1981

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