デュバイユ、アウグスト

Dubail、Auguste
(1851−1934)


フランスの将軍;プラン17の主導者

サンシール士官学校卒業後、普仏戦争に従軍。その後サンシール士官学校の教官を経て、1911年ジョフルの参謀本部に加わった。プラン17の作成に指導的な役割を果たす。

アガディール危機以降内閣の軍事参議会に加わりその後、参謀本部代表として主導的役割を果たす。1911年7月イギリスのウィルソン陸軍参謀本部作戦部長とドイツと開戦になったときフランス軍左翼にBEF6個師団を並ばせる案に合意し、デュバイユ−ウィルソン計画として名を残した。しかし開戦時、キッチナー陸相はその存在をつげられ、「なんだそれは、関係がない」と言ったと伝えられる。だが事実は協定の通りとなった。

開戦時は第1軍の司令官をつとめ、アルザスに進攻した。しかしドイツの要塞群に阻まれ、後退を余儀なくされた。しかしその後のドイツ軍の反攻にはよく耐え、戦線を守り抜いた。

マルヌ戦後西部戦線中央部で比較的静かな部分を受け持った。しかし受け持ち地域のベルダンについて防御陣地は適当だと公言した。責任者とすれば他に表現しようがなかったのだろう。そのあとすぐにドイツ軍がベルダンで大攻勢に出、当初成功を収めるやデュバイユの立場はなくなった。

1916年3月解任され以降はパリ軍事総督をつとめた。



回想録;Quatres annees de commandement, 1914-18:Journal de Campagne,Tome1,1st Armee,Paris,1920

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