チャーチル、ウィンストン

Churchill, Winston Spencer
(1874-1965)


イギリスの政治家、文筆家
第7代マールボロ公爵の次男ランドルフ(元蔵相)の長男。マールボロ公爵家のあるオックスフォード近郊ブレナムパレスで生まれた。母はアメリカ人。

1893年陸軍士官学校卒、インド勤務ののちハルツームの戦いに参加。1899年新聞の特派員としてボーア戦争に従軍。捕虜となるが脱走に成功。
1900年下院に初当選。1910年内相、1911年海相。1914年ガリポリ作戦を案出したが失敗、海相をおわれた。中佐として西部戦線に従軍。第7ロイヤル射手大隊長。

1918年ロイドジョージ内閣のもとで軍需相。1924年蔵相。第1次大戦を主題として「世界の危機」を書く。

1933年「マールボロ」を出版
1939年海相。
1940年首相。第2次大戦の戦争指導にあたる。
1945年労働党に選挙で敗れる。
1949年「第2次世界大戦」を出版
1951年再度首相。1955年引退

チャーチルの第1次大戦で果たした役割は成功とはいえない。しかしこれは内閣で一番若かったことにもよる。すなわち首相アスキスを始め新しいアイデアを生み出しまた実行しうる閣僚がいなかった。新機軸はチャーチルからしかでなかった。また仏独と比較してイギリスの戦争指導がやや劣っており、とくに陸戦において顕著だった。タンクを案出し、陸戦での防御有利を説いた。ただチャーチルの発言で実行されたことはあまりない。また海相として昔の海軍の夢が捨てきれなかった。

ナポレオンの時代は馬より船のほうが早かった。しかし第1次大戦では船より鉄道のほうが早い。ガリポリ半島への集中は鉄道を利用したトルコ軍がいつも船を使ったイギリス軍より早かった。

この事実にドイツ軍は早くから気がついていた。チャーチルは理解したが認めたくなかった。だがガリポリ上陸作戦以降予告つきの敵前上陸を試みる人間はいなくなった。

そして海上でいくら優位にたっても陸戦には影響しなくなった。これは現在でも続いている。フランス人がイギリス人に第1次大戦中言い続けた事、それは「ナポレオンはトラファルガーで負けたのではない。ワーテルローで負けたのだ。」だった。



自著;The World Crisis, five volumes, London, 1923-1931
(邦訳);世界大戦 全9巻 広瀬将他訳 非凡閣 1937
;World in Torment, 1917-1922, London, 1975
;The Challenge of War, 1914-1916, London, !971
;The Eastern Front, London,1932
;Great Contemporaries, London,1937(アスキス、クレマンソー、フォシュ、フレンチ、ジョージX世、ヘイグ、ヒンデンブルグ、ウィルヘルム二世の人物評が掲載されている。)

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