カステルノー、エドアール、ド

Castelnau, Edouard de
(1851−1944)

フランスの将軍
土着したアルジェリアのフランス人出身。軍人家庭に育ちカトリック党の支持者、このため共和党とは対立した。1870年サンシール士官学校に入校したが翌年の普仏戦争がおこった。
その後兵站畑を歩み、1911年ジョフルによってその補佐官に選ばれた。

カステルノーは攻勢論を過信し、プラン17の熱心な主唱者だった。開戦時は第2軍の司令官でアルザスへの強攻を指揮した。

結果はドイツの防御網にかかり、失敗したがその後は秩序だった後退戦を実施しさらにモーゼル川の守備線を死守しドイツ軍の猛攻をくいとめた。

それでもカステルノーは攻勢第一の考えを変えず、両次のシャンパーニュ戦を主導した。1915年初頭参謀次長となった。

ベルダンにおけるドイツ軍の攻勢に際しまたもや死守方針を出した。ペタンをベルダン防衛の指揮官に推薦しあらゆる手段で防衛するとの方針を打ち出した。1916年末のジョフルの祭り上げとともに後任候補となったが、カトリックの信条がその妨げとなった。

その後一時影響力を失ったが、連合国最終攻勢では東部軍指揮官として返り咲き,勝利に貢献した。戦後はカトリック党の代議士として参議院の議員を長らく勤めた。大戦により3人の子息を失っている。



Giraud,V., Le General de Castelnau, Paris, 1921

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