ビューロウ、カール フォン

Bulow, Karl von
(1846-1921)

ドイツの将軍;開戦時第2軍司令官
ベルリン生まれ。 普墺戦争と普仏戦争に従軍。1904年には大将となり第3軍団長となった。

開戦時は第2軍司令官をまかされた。そして名目的であるがしばしば第1軍司令官も兼務した。任務はシュリーフェンプランにしたがって、全軍が旋回する、外側をうけもつことだった。

リエージュ、ナミュールそしてサンブラ川でフランス軍を破り、マルヌ河畔に到達した。ビューロウは更に外側の第1軍のクルックになんら影響力を行使できなかった。クルックは功にはやり常にビューロウより、前進しようとした。

クルックはパリを避け内側を通り、マルヌ川を渡った。ここでフランス軍の反攻が爆発した。パリ軍または第6軍(モーヌーリ)がクルックの第1軍に側面攻撃をかけた。クルックは対抗するため全軍をパリの方向に集めた。これによりビューロウとの間隔が絶望的に開いた。

ビューロウは残余のフランス軍の猛攻をしのいだが、間隙にBEF、イギリス軍にはいりこまれた。包囲を避けるためには撤退しかなかった。シュリーフェンプランは失敗した。

1916年3月心臓発作におそわれ、退役その後公職につくことはなかった。

ビューロウは毛並みもよく平時においては訓練や演習において卓越した能力を示し小モルトケが欠けたときはその代行者と目されていた。しかしマルヌの敗戦により「ビューロウは戦術的能力はあるが、戦略的識見がない」と評された。



回想録; Mein Bericht zur Marneschlacht, Berlin, 1919
Krack, O. Generalfeldmarschall von Bulow, Berlin, 1916
Blond,G.,The Marne, London,1965
Gebsattel,L.,Generalfeldmarschall Karl v. Bulow, Munich,1929