アスキス、ハーバート

Asquith, Herbert
Earl of Oxford and Asquith
(1852-1928)


イギリスの政治家・開戦時の首相

決して裕福といえない家庭に育ち、能力だけで首相にまでなった。ヨークシャー州ウエストリディング生まれ。
オックスフォード大学のバリオルカレッジ卒業。バリオルに始めて、パブリックスクール出身以外で入校を許されたという。

1886年自由党から下院に初当選し、1891年グラッドストーン内閣で内相、1906年には蔵相となった。1908年に首相に就任した。第1次大戦開始との間では、アイルランドの自治権拡大、上院の改革などに取り組んだ。

開戦はしかしアスキスにとり予想外の事態だった。当時のどの国の首脳の例にもれず、短期戦の予想しかたてられなかった。アスキスは決して大衆を戦争に駆り立てるタイプではなく、またそう望んだとしても性格が許さなかった。

しかしチャーチルロイド=ジョージキッチナーの登用にみられる通り、決して凡庸な首相ではない。1915年5月、砲弾スキャンダルとガリポリ作戦の失敗で保守党との連立を余儀なくされるが、実質は保守党に代わられたといってよい。これで自由党は現在に至るまで、有力党の座から転落した。1916年12月、不本意な政争により首班をロイド・ジョージに譲る。1918年には下院の選挙で落選した。1920年の補選で復帰したが、再度影響をもつことはできなかった。

1982年にアスキスからベネチア・スタンレイという女性にあてた手紙がまとめて出版された。アスキスは1912年から1915年の間550通に上る手紙をこの女性に書いた。齢60にしてアスキスはどうも恋に落ちたようだ。キッチナーは閣僚が国家機密と軍機を妻に漏らし、かつ閣僚のうちの一人は他人の妻にも漏らすと生前苦情を言ったと伝えられるが、この一人とはアスキスを指した。

そしてこの手紙の大半は、閣議の間にメモをとる形で書かれ、同僚は日記の原稿だと思っていたらしい。中味は西部戦線とガリポリに派遣されている師団の数など最高度の軍機を含んでいた。この時代の政局を知るに格好の一級史料である。例えば、自由党政権は第1次大戦の勃発にあたり、もしドイツ軍がベルギーの南部だけに侵攻したならば参戦の意思がなかったことが知られる。またこの手紙で初めて、ドイツ軍のベルギー全面侵攻により具体的な閣議の討論を伴い参戦を決意したことが確認された。



Jenkins, R., Asquith、London, 1978 
Koss, S., Asquith, New York, 1976
Spender, J.A and Asquith, C., Life of Henry Asquith, Lord Oxford and Asquith, London, 1932 Wilson, T., The Downfall of the Liberal Party, 1914-1935, Ithaca, 1966
(ed.)Michael and Eleanor Brock H.H.Asquith: Letters to Venetia Stanley, Oxford, 1982

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