アレンビイ、エドムンド

Allenby, Edmund Henry Hyman 
Vicount Allenby of Megiddo 
(1861-1936)


イギリスの軍人;西部戦線のあとパレスチナ戦線で活躍

あだ名は猛牛だった。一つには外観からまた二つには短気な性格から来ている。騎兵あがりでBEFには初めから騎兵旅団の司令官として参画し、1915年10月第3軍の司令官に任命された。他の英軍の司令官同様、人的被害に無頓着でありすぎるという批判をこの時浴びている。多分あだ名も多少それに由来しているのだろう。

総司令官のヘイグとは余り良くなかったが、首相のロイド・ジョージからの信任はあった。1917年6月エジプト派遣軍の総司令官に任命された。初めて、独立した指揮権を得てヤル気を出したかその後の指揮はなかなか優秀だった。12月9日エルサレムを陥落させ、その後西部戦線でのドイツ軍の攻勢で部隊を抽出され、一時時停滞したが、夏から再度の攻勢に出た。
結果はメジドとダマスクスの占領(10月1日1918)でトルコの休戦要請につながった。アラブ人からはオスマン帝国からアラブ人を解放したことにより、予言者の称号も得たが、パレスチナで他の住民から必ずしも歓迎されたわけではない。
戦後エジプト高等弁務官に任命され、むしろ独立運動を弾圧する側にまわる。

第2次大戦の名将ウエーベルは第1次大戦でイギリスの生んだ最良の将領とアレンビイを呼んでいる。
すこし誉めすぎかもしれない。しかし比較上、妥当しているかもしれない。



Gardner,B.,Allenby of Arabia:Lawrence's General, London, 1965
Savage, R., Allenby of Armageddon, London, 1925
Wavell, Field Marshal Viscount, Allenby; Soldier and Stateman, London, 1946

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