アレクセイエフ、ミカエル・バシレビッチ

Alekseev(Alexeyev), Mikhail Vasilevich
(1857-1918)


ロシアの軍人;大戦後半の参謀総長

アレクセイエフは兵卒からたたきあげて将校となった父から生まれた。本人はロシア参謀大学を出て、日露戦争にも従軍した。
開戦時はイワノフの南西軍の参謀長で、緒戦のガリシアの戦いで勝利を収めた。

1915年3月北西軍の司令官に任命された。ゴルリッツ突破戦での敗北にもかかわらず、責任はとらされず、1915年9月にはさらに、ヤヌシュケビッチのあとをおい大本営の参謀総長に任命された。

1916年の戦争指導はしかし大失敗だった。ブルシロフ攻勢の成功にもかかわらず、必要な支援を実施することができなかった。さらにルーマニアに体力以上の応援を余儀なくされ、これも失敗に終わった。ツアーとの関係は良好でなく、ツアーは口を出しすぎると感じていたようだ。参謀総長として戦術能力はロシアの水準からみれば十分あっただろう。しかしツアーが司令官でそれを補佐するとなれば、誰がやってもうまくゆかないかもしれない。

1916年11月心臓発作で休養を余儀無くされ、のち1917年2月復帰した。しかし二月革命ではツアーを退位させる方向で動き、総司令官になった。しかし臨時政府とうまくゆかず、5月21日総司令官から退いた。十月革命でドン川流域に逃れ白軍の発足に参加したが、実権はコルニロフにあった。そして1918年10月再度の心臓発作におそわれ、死亡した