ユデニッチ

Yudenich, Nikolai
1862-1933

ロシアの将軍

ペテルブルグに生まれ、18歳で士官学校に入った。その後参謀大学を卒業し1902年まで参謀本部に勤務した。日露戦争に連隊長として従軍し戦争中に将官に任官した。ヨーロッパ各国のうちロシアは19世紀を通して戦争を数多く経験しており将軍への昇進の機会が多かった。ロシア陸軍は他国と比較して将官の数が多い反面、下級将校が少ないという構造的問題を抱えていた。

日露戦後はコーカサス軍管区の参謀次長となり、第一次大戦勃発時まで同軍管区の参謀長だった。ロシアにとり辺境の地シベリア、コーカサス、ワルシャワ、ビルナの軍管区はロシア陸軍の登竜門でもあった。第一次大戦が開始されるとタジキスタン第2軍団の司令官となり1914年サリカミッシュの戦いに勝利した。翌年にもエンベルの迂回作戦を見破り大勝利を博した。この間1915年5月コーカサス軍司令官となった。

1916年ニコライ大公を名目的な司令官として戴いたが実質的に作戦を指揮し2月エルゼルムを占領し更にトレビゾンド・エルゼンチカンをも占領した。ここまでコーカサスは連合軍として唯一常勝の戦場であり、ユデニッシの名前は常勝将軍としてロシア国内に知れ渡った。

1917年2月革命により再度司令官となったが、補給が断たれこの戦線の維持は困難となった。また臨時政府とも協調できず8月自ら職を退いた。この間の撤退作戦も見事であり空想的な攻勢を指示するばかりのケレンスキーとの協調は不可能だったのだろう。その後ペテルブルグに戻ったが10月革命に遭遇しフィンランドに亡命した。

1919年秋リガ周辺で決起した白軍の司令官となり、エストニアで戦った。ペテルブルグ回復を目指したが、数で圧倒された。再度リガに戻りそこで白軍を解散し他の将兵と同じく亡命を余儀なくされた。フランスに落ち着きサンローランドバルで余生を送りその地でなくなった。享年71歳で帝政ロシア軍で数少ない消え去く老兵でもあった。


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