サゾーノフ、セルゲイ

(1866-1927)
Sazonov, Sergei Dmitryevich


ロシアの開戦時の外相

リャザン県出身。世襲貴族で歴代外交官の家柄。1910年ストルイピン首相に見出され、イズボルスキーの後をつぎ外相となった。

2回のバルカン戦争と伊土戦争では裏で相当の陰謀を画策し、とくに第2次バルカン戦争ではオーストリアとドイツが仲違いするように仕向けある程度成功させたようである。

このように外交官としては、やや世代の古い権謀術策を弄するタイプだった。とくに反オーストリア、反トルコ感情が強かった。この面では日露戦争以降登場したコンスタンチノープル領有派とも言える。反面、英仏とは協調した。

1914年の7月危機では、セルビアに同情したと言うよりオーストリアへの敵対意識から部分動員を最初に主張した。その後軍部が総動員が必須だとしたとき、抗すべくもなくニコライ二世にも総動員を勧める役回りとなった。

開戦後は、ペテログラードに残り文民としてのリーダー的地位を保った。しかしロシアの政体については議会の権能を増すべきだとの意見で、皇后アレクサンドラと対立1915年7月失脚した。この事件は連合国に不快感をもたせた。ロイドジョージは2月革命以降ニコライ一家の救助に反対したが、サゾーノフらの帝政時の文官の意見が反映したようである。

共産革命以降パリに亡命、そこで反ボルシェビキ活動を行った。帝政時代の政府文書の散逸の防止にも意を注ぎ、現在大半がアメリカのスタンフォード大学に残ったのはサゾーノフの功績である。



自著:Fateful Years, London, 1928

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