ローリンソン、ヘンリー

Rawlinson, Henry S.
Earl Rawlinson of Trent
(1864-1925)

イギリスの将軍;BEF第4軍司令官
軍人の家系に生まれる。イートン校卒業ののちサンドハースト士官学校に進む。インド、ビルマ、エジプトなどの海外勤務ののちボーア戦争に従軍し、ロバートソンの片腕をつとめた。

第1次大戦勃発とともに、アントワープ救援のため小さな分遣隊の司令官として大陸に派遣された。しかしドイツ軍右翼の怒涛の進撃を前にできることは、ベルギー軍の脱出を支援することぐらいだった。

その後BEFに参加、第6軍団長となった。第1次イープル戦などに参加し第4軍司令官に昇進した。ローリンソンはこれから以降、塹壕戦において突破は至難であると確信するに至った。とりわけ狭正面での反復攻撃はとりやめるべきだと意見具申をおこなった。しかしヘイグ司令部はこの反対をまさにソンムで実施した。

ローリンソンの第4軍はこの中心部隊として参加、初日にして大損害を蒙った。これ以降もパッシェンデールで同様の事態が繰り返された。

連合国最終攻勢では8月8日、アミアン−サンカンタンで第4軍を指揮、一番手の攻撃を実施した。このとき600台のタンクが手許にあったという。ルーデンドルフはこの攻撃のあった日をドイツ軍暗黒の日と呼んだ。この戦いがローリンソンの名前を最も有名にしたが、9月29日のヒンデンブルグ線の突破も忘れてはならないだろう。

休戦日まで第4軍司令官で、その後イギリスの対露干渉軍の司令官となった。戦後はインド軍司令官となったが、そのまま客死した。



Major-General Sir Maurice, F., The Life of General Lord Rawlinson of Trent From His Journals and Letters, London, 1928

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