パシッチ、ニコラ

Pasic Nikola
(1845−1926)


セルビアの首相;大戦期間中およびその前後セルビアの首相をつとめた。

セルビアとブルガリア国境近くのザイチャールで生まれた。急進党党首として政治運動に関わり、1883年にはミラン国王の暗殺未遂容疑で死刑の宣告を受けた。その時は辛くもオーストリアに逃れた。

1903年のアレクサンダー国王の暗殺により、カラジォルジェビッチ家からピーターが王位につくと呼び返され、1904年首相に就任した。その後20年間にわたり首相を務めることになる。1912年から1913年における二度のバルカン戦争で勝利を収め、マケドニアを獲得し、国土を二倍に増やした。

サラェボ事件では未解明であるが、何らかの情報を得て、暗殺計画を阻止しようとしたらしい。一方でそれまでブラックハンドを中心とするテロ活動の弾圧に熱心だったとは言えない。

大戦勃発後はセルビアを代表する文民政治家としてセルビアの戦争の全行程を共にした。1917年にはテロ活動を繰り返すブラックハンドの首領、アピスことディミトリエビッチを大逆罪のかどで処刑した。

1918年のパリ講和会議にセルビアを代表して出席した。成立した大セルビア=サーブ・クロアチアン・スロビーン連合王国の首相となった。そして1921−24と1924−26の二度組閣した。



Petrovich, M.B., History of Modern Serbia 1804-1918, London, 1976

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