パレオログ、モリス

Paleologue, Maurice Georges
(1859-1944)



開戦時のフランス駐露大使
パリで生まれた。職業外交官で本省および多数の海外ポストを経験している。

日露戦争時、外務省情報局長としてデルカッセの下にいた。ロジェストウェンスキー航海における寄港地問題、英仏協商、第一次モロッコ問題で枢要な情報を得る立場にあった。この時、日本の駐仏公使本野一郎と懇意な関係を築くことに成功した。

開戦直前の1914年、駐露大使に任命された。このポストはフランスにとり駐英大使と並ぶ最重要のものであり、実力が評価されたのだろう。また期待に沿った活動をしたと思われる。

フランス外交では通常の国よりも大使の権限は大きく、ほぼ独立して判断しうる権能を有していた。

パレオログの7月危機において果たした役割はかなり重要である。ニコライ二世は、自国の外交官よりもパレオログを信頼していた。とくに総動員の決定でパレオログのアドバイスは決定的な役割を果たした公算がある。重要なことは、パレオログは本省で情報局にいた関係で、シュリーフェンプランの詳細を承知していたことである。

そして、ニコライ二世が重大な結論を出さねばならなかったとき、フランス政府首脳(大統領ポアンカレ・首相ビビアニ)は、ロシア親善訪問の帰途で海上にあった。パレオログは本国と全く関係がなくアドバイスを行ったと見られる。

パレオログは少なくとも2点アドバイスしたように見える。第一に、対オーストリアで強硬措置をとってもフランスは支持を与えること、第二にロシアの総動員の決定は、フランス政府の了解なく、ロシア独自の判断で行えるとしたことである。第一も第二も実は確認されておらず現在における情況判断でしかない。ただそうとしか考えられない。また自著ではフランスは常にロシアを支援する体制にあると伝えただけとしている。

パレオログのアドバイスはかなり暴力的だが、恐らくシュリーフェンプランによりドイツがフランスを攻撃するのは確実でそのためにはロシアの東からの攻撃がなければフランスは必敗と予想したのだろう。このパレオログの決心は、オーストリアのベオグラード砲撃の直後明確になっていた。この後は自己の判断をフランスの判断として伝えることに躊躇はなくなったのかもしれない。

ロシア10月革命の直前、駐露大使を離れた。



自著;La Russie des Tsars pendant la grande guerre, Paris, 1922
自著;『犠牲の艦隊』古野清人、白水社、1941

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