レチツキー
Letchitsky Platon Alekseevich
(1856-1920)



ロシアの将軍。 シベリアの出身で歩兵士官学校を卒業。日露戦争に師団長として従軍した。そのあとプリアムール軍管区の軍団長、軍管区総督に任命され、アムールとウズーリに駐留した。

第一次大戦勃発時は、第9軍司令官に任命された。だが参謀長のニコライ大公のお気に入りのポーランド人貴族出のグリャウィッチャと会わず、度々争った。レチツキーはスコムリノフ派であった。しかし、第二次クラスニック戦では大勝利を収めた。

1915年の独墺軍攻勢では、いったん退却を余儀なくされたが、セレト河で反攻に出、成功させた。だが、11月のストリパ河戦では、無理攻めを行い失敗した。だが、名前は英仏でも有名になり、「プラトン将軍」とあだ名がつけられた。

1916年のブルシロフ攻勢では、最南翼でオーストリアの猛将、フランツァー・バルテンに大勝し、カルパチア山系まで追いつめた。

1917年の2月革命では臨時政府によって中央方面軍司令官に任命されたが、ケレンスキー攻勢失敗のあと革職された。11月革命が起きると、なぜか赤軍につき、再役した。ペテログラードで名誉職のような司令官になったが、1919年突然、ボルシェビキ政府によって逮捕され、翌年獄死した。


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