ランシング、ロバート

Lansing, Robert
(1864-1928)


アメリカの国務長官(外務相)

ウィルソンの下で、第1次大戦中国務長官を務めた。
ニューヨーク生まれ。マサチューセッツ州アマースト大学卒業。大学では法律を学んだ。その後弁護士となったが、専攻の国際法分野で国務省の認めるところとなった。1914年、ウィルソン政権のもと、国務長官ブリアンの補佐官となった。

ブリアンがルシタニア号事件での新聞発表のあり方で大統領と対立辞職すると、後任の国務長官に指名された。

ウィルソンは仕えるのに難しい上司だった。とくに外交分野はウィルソンは自らの判断を常に優先させたため、ランシングに相談することは余りなかった。ランシングは、法律家らしくウィルソンの理想主義に反対で、現実を優先させヨーロッパの老練な外交官を手本としたかったようだ。

1917年アメリカの参戦に主導的役割を果たした。また日本との間で石井ーランシング協定を締結した。

パリ講和会議では、ウィルソンに同行したが、条約の具体的な事項については想像するより関与が大きかったとされる。例えばドイツの戦争犯罪人の処罰規定や英仏日の秘密協約の条項化に力を貸したようだ。ただ実務的な官僚が背負わされる宿命かもしれない。

加えるにウィルソンの手法そのものにも疑問をもっていたようで、ドイツを講和会議に加えるべきだと考えたようだ。これをクレマンソーらフランス人とも共有していたが、政府部内でどのように討論したかは謎が残る。

ウィルソンの病が深刻化するなかで1920年、他の閣僚によって攻撃され実質罷免された。

その後ワシントンで、外国政府を相手とする弁護士となったが、やや堅苦しい人物で、その後駐米大使となった石井菊次郎とも打ち解けなかったと言う。



自著:The Peace Negotiations. A Personal Narrative, 1921, Boston

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