ディアツ、アルマンド

Diaz, Armando
Duke della Vittoria
(1861-1928)


第1次大戦末期のイタリー軍参謀総長
ナポリで生まれた。士官学校卒業後、植民地戦争に従軍した。軍団司令官などを任官の後、カポレットの大敗後、カドルナのあとをおい、参謀総長となった。

カドルナは大敗の後、首相のオルランドと分離和平をめぐり意見が対立、さらに英仏軍首脳とも作戦上で論争が絶えなかった。

ディアツは政治上・戦略上の見解は持たず、むしろピアブ川に後退した部隊の再編に力を注いだ。この時ディアツの手許には32師団しか残されず、また脱走兵が相次ぎ充足された師団はなかった。ディアツは兵士の原隊への復帰を促しながら、専ら防衛線の構築に励んだ。

効果は翌年の6月に現れた。英仏軍の応援12個師団に支えられたとは言え、1918年6月のオーストリア=ハンガリー軍の猛攻を防ぎきった。

その後は1918年11月4日休戦後にオーストリア=ハンガリー兵の背後を急襲、大量の捕虜を得た

1922年からムッソリーニ政権のもとで陸相を務め、1924年病に倒れ隠棲した。


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