フランシェ デスパレ

Franchet d'Esperey, Louis Felix Marie Francois
(1856-1942)

フランスの将軍;連合国軍最終攻勢のときサロニカ軍司令官

王党派の家系に生まれ熱心なカトリック教徒として育った。植民地戦争で活躍し、開戦時第1軍団長。そしてすぐ第5軍の司令官に抜擢された。そしてマルヌ会戦でドイツ第3軍と対峙し退却させた。

その後東部軍司令官、北部軍司令官を歴任した。一時はジョフルの後継者として名があがったが、王党派という出身が妨げとなったようだ。

カイザー戦では5月、第3次攻勢でドイツ軍の矢面に立ったが、シェマンデダームとシャトウチェリーの激戦で相当に消耗を余儀なくされた。その途中、サロニカ派遣軍の司令官に転任となった。連合国軍最高司令官にフォシュが任命され、北部軍という単位で軍を掌握する必要が薄れたためだろう。

サロニカで1918年9月、新機軸を採り入れた大攻勢に出た。ブルガリアはもはや耐えることができず、最も早く休戦を望み、中央同盟の一角を崩壊させた。その後、ドナウ川まで進み、ウィーンに直接脅威を与える地点まで至った。2年間バルカン半島に残り、1922年元帥に列せられた。


その後も現役であり続け、1933年77歳でチュニジアで交通事故にあい、退役した。

デスパレは多くのフランスの将軍と異なり、同盟国とくにイギリス人と友好関係を築くのに成功した。イギリス人から与えられたニックネームは「絶望した正直もの」(デスペレート・フランキー)だった。



Azan, P.,Franchet d'Esperey, Paris, 1949

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