ゼムゴール

プロルス
それではロシアの戦時経済の運営が、官僚制度や独裁制により、うまく運営されなかったのはわかるのですが、スコムリノフが外資や輸入に頼ったというところが、納得できないのですが。

別宮
結論とすれば、ロシア製品の値段が高かったんです。この理由は複雑ですが、根本の理由は国土が広いことです。

一般に、戦争が開始されるとしても、参戦国は平時と変わらない経済運営が行われます。つまり"Buisiness As Usual"というチャーチルの巧みな造語が示す通りです。

それまで、一九世紀、戦争とは半年も経たないうちに終了しました。この短い間の戦争のために、経済が影響を受けることはあまりありませんでした。砲弾にしても、兵士のための日用品にしても、戦前の在庫のままに賄われ、生産能力を増やす必要はなかったんです。

ところが、ロシアは1914年度中に鉄道輸送能力が軍隊に食われてしまい、余力がなくなってしまったんです。そのうえ、ロシアでは1900年代から産業革命が発生しており、人口が農村から都会に移動していました。

このための、地方から都市への食料・エネルギー・工業原材料などの輸送が早くもボトルネックに突き当たってしまったのです。

そのため、都市においてインフレが発生しました。

プロルス
それは他国でも一緒ではないですか。

別宮
ドイツを筆頭に1915年から、食料品などは配給制度に移行しました。配給というのは個人が不必要な在庫を購入することを防ぐと同時に国家は物資が行き渡ることを保証せねばなりません。

プロルス
ロシア人は配給が得意だと思っていました。

別宮
それは、ボルシェビキが権力を握ってからのことで、第一次大戦中、ロシアでは配給は実施されませんでした。つまり、ツアー政府に配給制度の運営は不可能になっていたんです。

プロルス
すると、市場経済ですね。

別宮
産業資本家は、外国からの弾薬購入を中止することを請願したのですが、断られ、各地方ごとに、地方議員も加えて、産業組合:ゼムゴール(Zemgor)を結成しました。

この運動にサゾーノフ外相も支持し、いわば「民主的」「自由主義的」な方法で弾薬や民生品の生産向上を果たすべきだとしました。ところが、インフレが収まらず、ロシア製品のコスト高は解消されません。

75ミリ砲弾丸は開戦前3ルーブルで納入されていましたが、1915年秋になると、14ルーブル以下ではどこの工場でもつくれない、といわれました。この期間、イギリスやフランスでは砲弾生産コストはむしろ低下していました。

物流にせよ雇用にせよ、ロシアの広さが、このような生産性の低下を招いたというべきでしょう。