ウィトゲンシュタインとオーストリア最後の攻勢

ベラ
オーストリア軍の大部はイタリア戦線に移動しましたが、前年10月のカポレットー突破戦に勝利し、余裕のある時期であったのですね。

別宮
その通りで、ウィーンの休暇のあと3月に南チロルについたのですが、それからの数ヶ月は前線にいたときとしては、思索に十分な時間をとれたようです。この時間を使って『論理哲学論考』の最終的仕上げにかかっています。またフレーゲと手紙をやりとりしています。『論理哲学論考』の序文には「私の思想にたいする刺激の大部分はフレーゲの偉大な研究と友人バートランド・ラッセルの著述によっている」とありますが、この時のものでしょう。

ただ、一カ月もしないうちに腸炎にかかり、再びボルツァーノの衛戍病院に入院しました。

ベラ
よく入院しますね。

別宮
そうなんですが、仮病でない証拠し、5月には復帰し、山岳砲兵連隊の観測任務についています。そして6月15日から始まるオーストリア最後の攻勢に参加しました。

ベラ
ウィトゲンシュタインという人は、入院・研修・休暇を繰り返していますが、オーストリア軍が攻勢に出たり、あるいは攻撃されたりしたときには、必ず前線にいますね。

別宮
オーストリア軍の休暇制度は優れていました。また、給養に不満がある記事を残していないように、補給もほぼ完全でした。

ベラ
日本ではオーストリア軍が弱いとか、オーストリア=ハンガリー軍は国家として機能していなかったという誤解がまだ多いようですね。

別宮
戦争に負けた側はどうしてもそういった事をいわれます。とりわけ、独立した側は民族主義(レーシズム)のようなことから、旧支配民族や支配層を無能呼ばわりします。ただ、オーストリアはある意味で、チェコスロバキアやポーランドについては独立がいつでも可能なように準備していました。

その意味で帝国であって、民族間に差別を持ち込まないように努力していました。つまり中世的な国家であって、あくまでも各地域の君主がまだ存在していて、それがハプスブルグ家であるといったバーチャルな世界というべきでしょうか。

ベラ
それでもウィトゲンシュタインはハプスブルグ家への忠誠ではなく、帝国への義務として出征したわけですね。

別宮
ウィトゲンシュタインはユダヤ人の出自について重要視していません。求める神も、一時のトルストイへの傾注にみられるようにキリスト教的な神です。ですが、ウィトゲンシュタインはユダヤ人のこの戦争への全般的な傾向を代表しています。

すなわち、第一次大戦では、ドイツ帝国においても二重帝国においても、国民として、義務を果たそうとして戦った人が多かったんです。戦後になりドイツ人は「背中からの匕首」という言葉でユダヤ人を非難しましたが、実は、戦争を義務として戦ったのは、ドイツ人とユダヤ人だけだったため、義務競争のようなことから、そう思い込んだのではないでしょうか?

ベラ
ドイツ人は戦争を始めたという意識があったんでしょうね。

別宮
戦後文学ではそれを熱心に否定していますが、それは裏返しの責任回避でしょう。

ともあれウィトゲンシュタインは、全軍の賞賛を浴びるような活躍を南チロル戦線でみせました。オーストリアの「前線における勇気」にたいして与えられる最高勲章「金勲章」授与申請には「彼の際立った勇敢さ、沈着さ、勇壮さは全軍の模範にするに足る」と書かれています。ただ、事情は不明ですが、実際にはこの申請は却下され、代わりに「軍事勲章刀剣付」が与えられました。

ですが、ウィトゲンシュタインにはこの功績のためでしょうか、10月までの長期休暇が与えられました。