命題によって語られえないことは示されえる

ベラ ウィトゲンシュタインもこの頃は出版で苦労してるんですね。

別宮 苦労というより、終戦直後の記号論理学の本の出版計画ですから難しいですよね。オーストリアでもインフレがかなり進行しており、出版社は紙の手当てに苦労していました。

ベラ ハーグではラッセルの新婚旅行の邪魔に入っていったんですね。

別宮 ただ宿泊ホテルは3流のトェシュテーデンですから、一人用のベッドしかなくラッセルはドーラ・ブラック嬢とは別々の部屋に泊まったようです。それでウィトゲンシュタインがラッセルを独占したようなものでしょう。

ラッセルが着いたのは12月10日ですから冬至の少し前で、朝は9時の日の出、3時には日没という夜が長い季節です。ウィトゲンシュタインは12日にホテルに着きましたが、論理学に没頭しラッセルの個人的な事を聞こうともしなかったようです。

ベラ ウィトゲンシュタインは『論理哲学論考』を理解してくれる人間がいたことだけで幸せだったのでは?

別宮 ラッセルは「世界には少なくとも3つの事物が存在するといい、受け入れを迫ったといいます。そして白紙にインクを3滴たらしました。

ところがウィトゲンシュタインは「断固として拒否する。紙に3つの染みがあることは認めるが」といったそうです。

ラッセルは『論理哲学論考』の主要なテーマ、「命題によって語られえないことは示されえる」にはかえって反対しました。これが神秘主義への転落のように映ったようです。

ともかくラッセルが解題を書くことを応諾したので出版計画は順調にいくと思われ、翌年1920年にはJMケインズを通して、6月、原稿がラッセルに届けられました。

ベラ でも、財産を利用すれば簡単に出版できたでしょうに。

別宮 トルストイに心酔していたウィトゲンシュタインは農奴の暮らしをして一生を終えるのが理想だったんでしょう。

ラッセルは北京大学で1年教える予定があり、1920年秋、ケンブリッジを発ちました。ウィトゲンシュタインの原稿はドロシー・リンチ嬢に預け、出版するよういい置きました。

リンチ嬢は数社に出版を持ち込みましたが断られ、最後に『自然哲学年報』の編集者オストワルトに嫌々引き受けてもらいました。そして翌1921年秋、この『自然哲学年報』最終号に掲載されました。

ところがオストワルトは記号論理学を知らないのに勝手に手を加え、あげく演算子などの数学記号が間違えているという代物になってしまいました。