唯物論

別宮
マルクスのいうアジア的停滞とは何かといえば、アジア人種が劣っているから、生産力の発展に遅れ、社会の発展が遅れるということに尽きます。

人種が劣ることが何を意味するかといえば、戦争に弱いということです。すなわちギリシャ・ローマ人は戦争に強く、奴隷を入手でき、その結果、社会が発展したということです。

つまり、人種というべきか、ある氏族というべきか、明らかにしていませんが、鉄などの量産に成功し、精巧な武器をつくり、その結果、戦争に強いと結論づけます。

このあたりは、マルクスがブルーメンバッハの人種三分類などから脱け出られなかったことを示します。

人種主義者マルクスが更に悪質なのは、ヨーロッパ人が優れ、それはギリシャ・ローマの伝統を負っているからであり、それが中世をへて、フランス・ドイツにつながっているというドイツ人選民意識を暗黙裡に主張していることです。

コスモポリタン
ですが、生産力の発展が人類社会の進歩につながったことは事実ではないでしょうか?

別宮
マルクスの奇妙な点は生産力の発展が、人種のようなもので決定されているとみなしていることです。これの結果、奴隷や小作人などによって余暇ができたエリート人種は、生産力発展が可能になった、と考えたんですね。

ですが、人種一つとっても、ヨーロッパ人でない日本人が生産力発展に寄与したのは確実です。更に生産力発展は同じ人種、例えばヨーロッパ人種(このようなものは存在しませんが)でも大差があるのは事実です。

そして、マルクスはロシア人を嫌いました。これの延長線上で、アジア人種を劣後した人種だと判定しました。こういったドイツ人選民意識からくる優越感は、この当時のドイツに共通したものです。

ですが、19世紀や20世紀前半のロシア人は文学や科学での貢献は大いにありました。ロシアの生産力発展への慣性が失われたのは、レーニンの革命以降です。また、日本人と中国人の生産力の発展は19世紀半ば以来顕著です。

中国が毛沢東革命以降退歩の道を歩んだのは、共産革命の結果ですから、理由があります。ですが中国はそれ以前も劣っているのです。

これらのケースから判断すれば生産力の発展が、人種によるのではなく、国家のとった政治社会体制が決定的だったことがわかります。

すなわち、法治国家であって、「自由」「平等」を認める社会か否かという点です。

コスモポリタン
でも、『共産党宣言』にもある通り、資本制が生産力発展に大きく寄与したことはマルクスも認めています。

別宮
その通りです。マルクスは資本制が社会発展の大きな鍵としていました。ただ、内容は唯物論であり、物質主義です。つまり、資本制というのは『資本論』にある通りで、工場生産があって、労働者がいてという社会です。これの前提は産業革命です。

マルクスは、産業革命でモノが余り、その物質的刺激のようなものに科学技術発展の鍵を見出しました。これは誤りです。産業革命は、「自由」「平等」を認めることにより発生したのであって逆ではありません。「職業選択の自由」「居住の自由」がなく、産業革命は現れません。

毛沢東革命以降の中国をみれば生産力の発展は「モノマネ」しかなく、それも農業分野に限られていることが如実にわかるでしょう。つまり、唯物論〜すなわち政策によって、「富の平等」を計るといい、私有財産を否定しては生産力の発展は不可能です。