江浙みのれば天下たる

ニミッツ
清時代のの農業の生産性が低いのはどのような理由によるものでしょうか。

別宮
 一つには、揚子江デルタ地帯や珠江デルタ地帯が、南に偏りすぎていたためです。とりわけ、新たに米作の中心となった江蘇省と浙江省が南に片寄っていたのです。中心地たる上海はほぼ鹿児島市と同じ緯度にあり、江蘇省はその南に位置します。

 人類にとり、平野部といえども大河のデルタ地帯の開拓は難事でした。関東平野の開拓ですら、室町中期以降でした。すなわち、水田の水平をとることが難しく、また排水が容易でなかったためです。開拓が遅れたことは普通の出来事です。

ニミッツ
 清時代、漢民族は開拓農民の形で南に進んでいったわけですね。

別宮
 古来、中国の米作の中心地は湖南省や江西省、四川省であり、山裾の排水の容易な場所に水田がつくられました。宋時代の中国農業は「江浙(熟)みのれば天下足る」といわれました。これが明時代になると、「湖広みのれば天下足る」に変化しました。

 宋の時代に江蘇省や浙江省に開拓の手が広がり、明の時代になると後退し、むしろ米作の中心地が内陸部に後退したことを示します。これは海禁政策のためですが、米作については宋や明の時代には山裾農業が中心であったことがわかります。

 これが清の時代になると、中国全域また平野部も開拓が進められていきました。

 ただ、この開拓は清国政府に奨励されたものでなく、ほとんど民間の手によって行われたのです。それまで、江蘇省や福建省、広東省は農業があまり行われたといえません。これは、清の統治が明時代よりも安定していたことが影響したのでしょう。

 一般に、農業社会では土地の供給が続く限り人口は伸びつづけます。なぜならば、「富」の源泉が男子の労働力のみに、依存するためです。

ニミッツ
 それでは、清時代、開拓が進むと人口は爆発的に増えますね。

別宮
 普通農民家庭は土地が得られる範囲では、無制限に子供を生み続けます。

 ところが、労働生産性が一定であれば、土地の供給が止まった段階で、人口を養えなくなります。これが「リカードの罠」といわれる現象で現在、熱帯アフリカ諸国で起きています。清の道光帝時代までに人口は四億人に達しました。ですが、その後一九四五年現在推定六億人と百年間で中国の人口は五割しか増えませんでした。この間、耕地面積の増加はほとんどなく、耕地生産性が多少伸びたにすぎなかったのです。

 これに比べ清時代の人口が爆発的に増えたのは、可耕地が急増したためです。

ニミッツ
 江戸期における日本と清国を比べて生産性はどのようなものでしたか?

別宮
 この当時の(米)反当り収量は、日本二百キロ、中国百五十キロと推定されます。これの原因は、中国の米作地帯、浙江省と江蘇省が、日本の穀倉地帯、新潟などと比較して北にあることに求められます。

 この違いのため、江戸時代日本は都市居住人口を増やすことができ、江戸・大阪などの大都市文化が成立したわけです。

ニミッツ
 清時代における中国社会、農村の情況はどうだったのですか?

別宮
 中国農村部を旅した西洋人は、そこは恐ろしい無法地帯であり、貧困のみが目立つと報告しています。日中で農村部における暮らしと治安状態で大差があったことは確実です。

 そして、中国農村部は原則自給自足であり、食器や塩、農機具などわずかな例外を除けば、農村副業によって賄っていました。当時、西洋人が驚いたのは中国農村部の未婚の子供が、着る物がなく、全裸だったことです。これは、現在でもあまり変わることがなく、農村部の子供はまず靴をはきません。

 また誤解もありますが、中国農村は極めて警察官なり兵士の少ない社会です。すなわち、農村部は広汎な自治にまかされており、国家権力が入ることはあまりありません。これも日本人や西洋人に理解しにくいことですが、中国は原則として「告発なければ罪刑なし」の中世的法原理の貫かれていました。つまり、犯罪があり司法が介入し、罪刑を課すというルールではなく、犯罪があれば被害者の訴えにより農村社会で裁くことが原則であり、被害者が出なければ、犯罪とみなされず放置されることが起きます。

 つまり、農村部に警察官、徴税吏、兵士などが入ることは滅多に起こりません。

 この中世的原理は現在も残っており、幹線道路でも交通事故死とみられる死体が放置されているのはこのためです。もちろん、旅行者などが農村部に入り殺人にあっても、農村部外に情報が漏れるなり、告発者がいなければ、咎めるすべはありません。

 そして、農村は単位ごとに武装していることも珍しくありません。観光地の所属をめぐり隣接する郷村が、銃器や爆発物をもって喧嘩することはよく発生します。

ニミッツ
 そういったことで、中国共産党は全土を支配下におくと、地主撲滅を始めたのでしょうか。

別宮
 そこは、やや違うとおもいますが、地主多数を「解決」したことは事実です。