新航路外交

マーニャ
疑問ですが、イギリス軍がマルヌ会戦で決定的な役割を果たしたのはわかりましたが、なぜドイツはイギリスを敵に回したんでしょうか。

幾つもの疑問があります。イギリスがベルギー中立侵犯を理由に参戦したのは、はっきりしています。グレイが議会に諮りました。それでも、イギリス保守党の外交方針は英仏協商を基調として、フランスの戦争努力に協力することでした。

そして、「もし」ということになりますが、英仏協商ではなく、英独協商があったとすれば、たとえベルギー中立侵犯があったとしても、イギリスはフランスにたって参戦することはなかったのではないか、と思います。

別宮
それは、その通りでしょう。ベルギー中立侵犯がなく、普仏戦争のように独仏共通国境を通過すれば、イギリスは参戦しませんでした。しかし、英独協商があり英仏が対立状況にあれば、イギリスがドイツに宣戦することは考えにくい、と思います。

マーニャ
実際のところ、マルヌ会戦以降、すなわち泥沼の長期戦となったあと、イギリス軍の助力がなければ、フランスは史実のように勝てなかったでしょう。

別宮
ですが、ドイツ軍は普仏戦争や普墺戦争のように短期決戦で勝利できると信じていました。

マーニャ
それはわかりますが、ドイツはイギリスに敵意を生じさせない努力をなぜしなかったのでしょうか。つまり、英独建艦競争がドイツにとり余計なことだったのでしょうか?

別宮
英独対立はそれよりかなり以前に始まっていると思います。やはりビスマルク外交の終焉からみていかねばならないでしょう。

マーニャ
ウィルヘルム二世が唱えた「新航路」外交ですか?

別宮
そうです。かつて日本でも社会党・共産党が「(日米)安保反対」闘争をやりました。社会党委員長で暗殺された浅沼稲次郎は北京を訪問し、「アメリカ帝国主義は日中共同の敵」と演説しました。

これは、日米安保を廃棄し、中国と同盟なり協商関係に入ることを意味します。すると韓国はどうなるでしょうか。北朝鮮が補給基地を失った韓国を攻撃することは大いに予測できます。

社会党は当時も「平和主義」を標榜していましたが、外交方針は「戦争促進」主義です。社会党は当時野党第1党であり、相当の国民の支持がありました。諸外国が日本について危うく感じたのは当然でしょう。

マーニャ
「新」が問題ですね。

別宮
その通りです。外交の革新=新外交など滅多に起きることではありません。結局、外交は地勢的に決定されることが多いものです。

そして、新航路外交は単にウィルヘルム二世が、気分で決めたものではなく、大多数のドイツ人も支持されていました。そして、それを実行したのは謎の外交官ホルシュタインであり、決定したのは官僚組織であるドイツ外務省(ウィルヘルム・シュトラッセ)です。