氏族制から奴隷制

別宮
前回からの続きですが、マルクス主義者とは「絶対平和主義」とは最も遠い場所にある人々です。そして、暴力革命を狙っていることから離れても、それは当っています。

つまり、人間集団がいるところ必ず戦争はあるというのが、エンゲルスの本となる発想であって、エンゲルスの氏族社会は戦争に満ちています。

コスモポリタン
エンゲルスの主張する氏族社会における戦争の原因とは一体何でしょうか?

別宮
エンゲルスの氏族(Gens)とは原始共産制における最も小さな人間の単位で、集落などに住む数家族の集団をイメージしたようです。これが更にまとまって、部族(Stamm)が形成されるとします。従って、日本語の部族とは、数万人を含むような英語のTribeを意味していますから、それより小さいとみてよいでしょう。

エンゲルスは部族は領域をもたないと考えていました。従って他部族と境界をもちません。結果として、部族間同士の交戦が絶えないと結論づけます。

これは日本の絶対平和主義者がしばしば、国境がなければ国家間の戦争はなくなる、と説くのと正反対の結論となっていることが面白いですね。エンゲルスは人間を本源的に好戦的な動物とみなしていました。

コスモポリタン
すると氏族社会または部族社会とは年中戦争状態にあり、その結果、「戦傷者にたいする義務」というのが出てきたわけですね。

別宮
そうです。そしてエンゲルスはそこから重大な結論を引きずり出します。すなわち氏族社会のころは、戦争捕虜は全員殺害してしまったが、生産力の発展した氏族社会では捕虜は殺さず奴隷にしたというのです。

コスモポリタン
それによって奴隷制社会が生まれるわけですね。

別宮
エンゲルスはそのように俗っぽく考えました。でもこれはエンゲルスのまたはドイツ人の「ギリシャ・ローマ」コンプレックスの所産です。なぜならば、ギリシャ人は戦争によって同じギリシャ人を奴隷にしたのは事実ですが、ギリシャ以外の地ではあまり起きていません。

すなわち、エンゲルスの頭には無意識にギリシャが世界の最先端地区だという思い込みがあるわけです。これは、ヨーロッパで教える場所代わり歴史観をいみじくもエンゲルスが踏襲しただけのことです。

ただ、これによってアジア的停滞なる奇妙奇天烈なマルクス主義歴史観が発生することになりました。