ウィトゲンシュタインとエンゲルマン

ベラ
周囲はどのように反応したのでしょうか。

別宮
ウィトゲンシュタインはここでまた戦場での勇気を示したのです。すなわち、観測員として持ち場を離れず、攻勢に出た敵の位置を連絡し続けたと言われます。

その結果、下士官候補・伍長に昇進し、ロシア軍のカルパシアでの攻勢が終了した、1916年8月にはモラビアのオルミュッツにあった連隊本部に士官候補生として派遣されました。

ここに、ウィトゲンシュタインは12月まで滞在しました。モラビアは現在チェコの領土ですが、当時のモラビアの大都市、トロッパウ(オストラバ)・ブリューン(ブルノ)・オルミュッツ(オロモーツ)は完全にドイツの町であり、市街地ではドイツ語が話され、商店の看板は全てドイツ語でした。

ウィトゲンシュタインは、エンゲルマンの家に下宿しました。エンゲルマンはのち、音楽家のフリッツ・ツバイク、法律家のマックス・ツバイクの親交を結ぶなど、ワイマール期ドイツの「退廃芸術」に旗手になりました。弟は風刺漫画家のペータ・エンクです。

ベラ
でも、この一派は反戦的傾向をもつ人たちですね。

別宮
その通りです。エンゲルマン自身は、カール・クラウスの弟子でもあり、クラウスが反戦運動を始めたあと、積極的に応援しています。

ベラ
ちょっと、芸術家っぽい肌合いで今までとは違ったグループですね。

別宮
ウィトゲンシュタインはエンゲルマンについて次のように語っています。
「私が文章に表現するのがなかなかできないでいると、エンゲルマンが鉗子をもってやってきて、私から文章を引き出したのであった」

ウィトゲンシュタインはモリエールの『気で病む男』の上演に俳優として参加したり、ツバイクのピアノ・リサイタルを聞きにいったりしています。

ベラ
ブルシロフ攻勢から脱出してきたのと、対照が際立っていますね。

別宮
第一次大戦では、演劇などの公演活動が制限されることは、ほとんどありませんでした。映画「哀愁」(ウォータールー・ブリッジ)でも主人公はバレーの踊り子で、ロンドンで公演活動を行い、次にはニューヨークに行く積りだったところを、休暇中の将校に会うという設定になっています。

つまり、第二次大戦と違って、戦争が市民の日常生活をそれほど脅かしたわけではありません。