カルテル

プロルス ミャソイエドフ事件は1915年5月ですが、その月の2日にマッケンゼンによってゴルリッツ突破戦が開始されてますね。

別宮 それでドイツ陰謀説も出ますが、ドイツにとってスコムリノフが陰謀を企むほど危険な存在とは思えませんよね。ゴルリッツ突破戦はドイツの第二次攻勢まで1本調子で進み、ロシア軍は大退却を余儀なくされました。

このとき、大本営(STAVKA)は、敗北の原因を砲弾不足にしたんですね。

プロルス でも相当に事実ですよね。

別宮 小銃も行き渡りませんでしたから、事実ですが、参謀は与えられた部隊・兵器で作戦をたてなければいけません。砲弾不足は深刻でしたが、逃げるのであれば、大砲は不必要ですよね。

ソ連産業界は兵器にたいして高価格しか呈示できず、スコムリノフが目指した安価な輸入品は輸送がネックでした。

プロルス ですが、リガ、モスクワ、キエフに脅威が迫ってくると、仲違いしてられませんよね。

別宮 9月にはそういった状態になりました、同時にヨーロッパ・ロシアの工場は中央同盟に奪われることになります。ニコライ二世がやったことは、ニコライ大公を革職し、自分が陸軍総司令官になることでした。

プロルス この人事は不当な感じがします。撤退は計画的でしたし、砲弾不足が敗因とすると、どうでしょうか?

別宮 ニコライ大公は、当座はコーカサス軍司令官としてティフリス(現グルジア、トビリシ)にいきました。そこへはツアーへの反乱を訴える分子も訪問したようですが、ニコライ大公が動じた気配はありませんでした。

プロルス でも、ツアーの権力も退却によって衰えたでしょう。

別宮 もちろんです。ただ、議会(ドゥーマ)では、中々意見が一致せず、とりわけ大企業・大都市のグループとゼムゴールが対立していました。

両方とも軍需発注を狙ったのですが、10月党がゼムゴールを支持し、立憲民主党が大企業を支持する傾向がありました。スコムリノフの後継となったポリバノフは、国内発注に切り替え、議会の賛同も得るという方針でした。

プロルス 最初の発注はどうでしたか?

別宮 プチロフ(Putilov)とビシネグラドスキー(Vyshnegradski)が1億1000万ルーブルの砲弾の契約をとりました。ビシネグラドスキーはシベリア鉄道の建設で大きくなった会社です。

ただ、前途金目当ての色彩が濃く、果して生産能力はありませんでした。

プロルス いい加減ですね。

別宮 他はもっとありませんからね。前途金によって、下請け契約でゼムゴールに金が入り、銀行は預金として預かれるメリットがありました。プチロフの方は造船のウェートが高かったのですが、ドイツとの戦いだと造船はあまり発生されませんから、造船工場を砲弾工場に転換しようとしました。

ただしロシアでは、大企業はよくストライキに襲われます。プチロフはボルシェビキの拠点であることでも有名です。

プロルス でもどうしてロシア大企業は高コスト体質なんですか?

別宮 輸送費による構造的コスト高はさておき、問題はロシアの骨の髄まで沁みこんだカルテルが問題でしょう。

鉄鋼についてはプロダメタ、石炭についてはプロドゥゴル、鉄道資材についてはプロドゥバゴン、銅についてはメドとあらゆる原材料にカルテルがあって、価格をコントロールしていました。そして生産調整すらしていたのです。

1914年までに30の独占的カルテルが成立していました